秩父鉄道秩父本線のうち、筆者が呼ぶところの「北武区間」こと北武鉄道が開業させた羽生〜熊谷の、田んぼのなかにある有名な駅で降りた。そして熊谷方の曲線区間にいたところ、団体臨時列車がやってくると聞いて待ち構えた、という話の続きだ。
2022年5月4日水曜日
【秩父鉄道撮影記事】デキ201+12系客車+デキ105の団体臨時列車にワレ遭遇ス。そしてRAW現像とレタッチで太陽が入ってしまう構図をなんとかする話
2022年5月3日火曜日
【秩父鉄道撮影記事】ひさしぶりの北武区間訪問で太陽と影と背景相手に戦いを挑む話。そして地方私鉄沿線撮影の「秘訣」について
■北武鉄道のこと
秩父鉄道秩父本線のうち羽生〜熊谷の区間は、秩父鉄道の前身である上武鉄道の手によって開業したのではない……という解説は、ここにお越しになるであろう大多数のテツのお仲間のみなさんには不要だろう。現在の羽生町の有力者が中心となって創業した北武鉄道が、1921(大正10)年に「羽生線」として羽生〜行田(現在の行田市)を開業させ、翌年に行田〜熊谷を延伸し全線開業させた。いまからちょうど100年前のできごとだ。
2022年4月27日水曜日
【西武鉄道撮影記事】さよなら、2000系電車2007編成。初期車8両固定編成が姿を消す
■2007編成の退役で「2000系初期車8両固定編成」が全廃に
さる2022(令和4)年4月26日(火曜日)に、西武新宿線系統で運用されていた2000系電車のうち、1977(昭和52)年から1979(昭和54)年にかけて製造された、側面に「田の字窓」(下段上昇・上段下降の二段式窓)を持つ初期製造車のなかで、最後の8両固定編成であり、行き先表示器が方向幕式のままだった2007編成が横瀬車両基地に向けて廃車回送を行った。この回送は同時に事前申し込み制の有料見送りツアーでもあった。2007編成が横瀬に到着したことで、2000系の初期車の8両固定編成がすべて姿を消した。
さる2022(令和4)年4月26日(火曜日)に、西武新宿線系統で運用されていた2000系電車のうち、1977(昭和52)年から1979(昭和54)年にかけて製造された、側面に「田の字窓」(下段上昇・上段下降の二段式窓)を持つ初期製造車のなかで、最後の8両固定編成であり、行き先表示器が方向幕式のままだった2007編成が横瀬車両基地に向けて廃車回送を行った。この回送は同時に事前申し込み制の有料見送りツアーでもあった。2007編成が横瀬に到着したことで、2000系の初期車の8両固定編成がすべて姿を消した。
2022年4月25日月曜日
【三脚関連のあれこれ】アルカスイスタイプL型カメラプレートの試験運用とジッツオ三脚にホームセンターで買えるもので安価なエンドフックを取りつけた話
ウクライナ独立後にザヴォート・アルセナール (アルセナール工場)で製造された MC ARSAT-N 2.8/20(MC MIR-73N 2.8/20)は アタッチメントサイズが直径62mmで AI Nikkor 20mm f/2.8S用レンズフードHK-14がよく似合う。 だが、今回はその話をしたいわけではなかった |
■DfにはアルカスイスタイプL形プレートが欠かせなくなった
「とあるアジアの国で製造された『素人さんは手を出すな』的なグリップつきアルカスイスタイプL型プレート」を昨年末にニコンDfボディに装着したという話を、以前このブログで書いた。
Df用として販売されていたにもかかわらず、入手したときの状態ではボディに装着さえできず、そういうものに簡単に引っ掛けられた自分の鑑識眼のなさに失望して数年間放置したのちに、にわかに腹が立ってグリップ内部を小型ハンドグラインダーで削って整形したところ、ようやく装着可能になり、さらにグリップ部分にもネットで見つけた方の例を真似させてもらってグッタペルカ(カメラ装飾用の貼り革)を貼ってきたら、やっと握りやすくなった。そういう、いろいろと手を加えた結果ようやくまともに使用できるようになったという、例のあれのことね。
非常にくせの強い品物であるために、諸手を挙げて万人におすすめすることができない品物だ。
2022年4月15日金曜日
【カメラ写真機材メンテナンスの話】雨の後始末:降雨のあとで機材を清掃するお話
■降雨や水べりでの撮影の「後始末」を忘れずに
先日の二日間の上信電鉄沿線撮影行は両日ともに雨に降られた。強い雨ではなくてもやむことはなく、傘を差してはいても機材も服も、カメラバッグもずぶ濡れになった。投宿先に着いてもまずは着替えて機材とバッグを乾かすことから始めた。室内の湿度が低すぎることが多いビジネスホテルの低湿度ぶりをこれほどありがたく思うことはなかった。そうして撮影を終えて帰宅してから、本格的な機材の清掃に一日費やした。
そこで、今回のエントリーではそうした「雨の撮影後の後始末」について思うことを、あれこれ書きたい。もっとも心がけるべきはできるだけ機材を濡らさないことにつきるが、意図的に濡らすわけではなくても、撮影中に濡らしてしまったものは仕方がない。それに、この知識は海辺や水辺での撮影のあとにも必要だろう。
2022年4月10日日曜日
【上信電鉄撮影記事】上信電鉄沿線観桜紀行2022 250形電車の単行運転を撮る
■デハ250形の朝の単行運転を見たくて前泊した
先日の上信電鉄沿線撮影の目的は、沿線のサクラの開花を味わうためだった。だが、それだけではなく、今年はもうひとつ大きな目的があった。それは、さる3月14日から行われている朝のデハ250形電車の単行運転を見ること。(2022年4月20日追記:4月21日より通常運行に復帰し単行運転は終了と、上信電鉄Webサイトにて発表されました)
2022年4月8日金曜日
【上信電鉄撮影記事】上信電鉄沿線観桜紀行2022 すばらしきかな6000形電車
今年の春に、そして昨年の春にも上信電鉄を訪問したさいにうれしかったのは、自社発注車である6000形電車の活躍を目にすることができ、さらに乗車できたこと。
昭和の時代に地方私鉄を訪問する楽しさのひとつは、その路線でしか見ることのできない自社発注車を目にすることだった。
2022年4月7日木曜日
【上信電鉄撮影記事】上信電鉄沿線観桜紀行2022 700形第3編成ホワイトタイガーを撮る
さる3月末に、例のまん延防止等重点措置が解除された。そうして4月になるころに東京首都圏でもソメイヨシノの開花が始まった。そこで今年も自宅周辺のソメイヨシノやシダレザクラを愛でながら、昨年春に訪ねた上信電鉄沿線のことを思い出した。
昨年春のサクラの開花時期に行ってみたら、思っていたよりもずっと雰囲気がよかったことが印象に残った。それに、なんといってもいまは連日の戦争のニュースにかなり嫌気が差しているから、おだやかな風景を見たいと思った。
2022年3月11日金曜日
【秩父鉄道撮影記事】デキ100形が大活躍していた日 念願のデキ105号を追いかけた
鉱石貨物列車の上下交換を待っていたら、返空列車として下り武州原谷行き列車の先頭には、撮りたいと思っていたデキ105号が立っていた、その話の続きだ。少なくとも同じ場所で1時間も待てば、デキ105号が戻ってくる。そう思って私は震えた。あとは待つだけだ。
2022年3月10日木曜日
【秩父鉄道撮影記事】デキ100形が大活躍していた日 勾配を下りてくるデキ102号の上下交換
秩父鉄道の三輪(みのわ)線を行く鉱石貨物列車に、運よくデキ100形が充当されないかなあと願いながら正丸峠を越えた日の話の続きだ。三輪鉱山行きの2本目の列車の列車の先頭にデキ103号が立つのを見て、私は思わずガッツポーズをした。エイドリアーン!
その後、5本分の鉱石貨物列車の出入りを同じ場所で待った。ちなみに、その日はデキ504(もとピンクで下り方がガチャ目)-デキ103-デキ501(下り方がガチャ目)-デキ302(黄色)-デキ506(赤)という「ド派手」な取り合わせだったぜ。
2022年3月9日水曜日
【秩父鉄道撮影記事】デキ100形が大活躍していた日 砂煙を上げて走るデキ103号にしびれる
■秩父路の春の訪れを感じながら
大雪の日に思い切って正丸峠を越えた日にいろいろと列車の写真を撮ることはできた。だが、残念ながらデキ100形の姿を見ることができなかったのが、ヲタ的には残念だった。もう3月だから、秩父セメント熊谷工場の定期検修日が近いはず。そしてパンタグラフをふたつとも上げてデキが走るのも3月中旬までだ。定期検修が始まると4月半ばから下旬まで鉱石貨物列車は走らない。
そこで、まだ鉱石貨物列車が走るうちに訪ねておきたい。そう思い日中の最高気温が18℃まで上がるという天気予報が出た日に、始発列車に乗ってまたもや正丸峠を越えて秩父鉄道沿線に出かけた。
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