2013年12月22日日曜日

【秩父鉄道C58363撮影記事】C58363、最高です!

川原に汽笛を響かせてゆっくりと登場

先日、秩父鉄道パレオエクスプレス5001列車を駅で交換待ちした日のことを少し書く。気温が下がった冬期のせいか、そもそもコンディションがよいのか。みごとな煙だと感心した。そこで、下りは間に合わなかったのだから(苦笑)上り列車はきちんと撮ろうと思って川原に来たというわけだ。

2013年12月21日土曜日

【ロシアこぼれ話】ルージニキ地下鉄橋の旧レーニン丘駅のこと

中央は閉鎖中のプラットホーム。
右の曲線しているものが地下鉄の仮設橋上のトタン屋根の覆い

■モスクワ地下鉄旧レーニン丘駅のこと
先日、モスクワ地下鉄の話を少しした。そこに貼った写真のなかにあった1995年当時には休止中だった旧レーニン丘(レーニンスキエ・ゴールイ)駅のことを書こうと思う。 

2013年12月20日金曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】あっと驚く奇跡……1010編成登場!

いい感じに日が差して来たぞ!

■赤城おろしに吹かれながらヒッヒッフー! ってそれちゃう
町外れの畑のなかで群馬から吹きつける冷たい風に震えつつ、地味なシモブクレちゃんを写していた。沈みつつある太陽を雲が気まぐれに隠してしまい、あたりは薄暗くなり、体感気温がさらに下がる。

ああ寒い寒い。足踏み足踏み。かじかむ指に息を吹きかける。ヒッヒッフー。いやいや、それでは産まれてしまうぞ。とか、ひとりでボケ突っ込み。それますます寒いわ!

2013年12月19日木曜日

【ロシアこぼれ話】「地下鉄Е形電車」のこと

コムソモーリスカヤ駅の環状線乗り換え通路より

■「地下鉄E形電車」とはこんな電車
先日、いつもお世話になってるおっとっとさんが、「社会主義日本エレクトリーチカ」として、フリーの「妄想電車」Nゲージを完成させたという記事を拝見して、ずっと訪問するチャンスがないまま時間が経っているモスクワ地下鉄のことを思い出した。

2013年12月18日水曜日

【秩父鉄道PETIT撮影記事】地味な花

シモブクレちゃんも地味に走り回ってる
朝方家を出るときに、集団登校の小学生たちがなにやら歌っていた。どうも聞いたことがあるような歌詞とメロディだと思いながら歩みを進めるうちに、ようやく気づいた。

♪恋するフォーチュンクッキー
未来は
そんな悪くないよ
Hey!Hey!Hey!
ツキを呼ぶには
笑顔を見せること
(AKB48 「恋するフォーチュンクッキー」 歌詞:秋元康 より)

男の子たちが主に歌っていたのでなんだか笑ってしまった。いや、小学生の間へのAKBの浸透力は実に強力なのだ。イ※ンのティーンズ服売り場、あるいは小学校の卒業式に行ってみるとわかる。テーラードのブレザーにチェックのフレアミニスカート、ニーハイソックスというAKBの衣装風アレンジ女の子たちだらけだ。男の子たちはどうなのか(「選挙」について議論していたりして)。

でもまあ、小学生のうちから「ツキを呼ぶには笑顔を見せること」を守っていれば、「未来はそんなに悪くない」だろう。「地味な花は気づいてくれない」なんていうのは刷り込んではいけないと思うけど(苦笑)。

その後も、女子中学生(たぶん中二)たちが風に舞う枯れ葉を素手でつかもうとはしゃいでいたり。郊外の住宅地はのんびりしていておもしろい。地味に。

2013年12月17日火曜日

【西武国分寺線撮影記事】上水沿いの小さな駅にて


■西武鉄道でもっとも早くに開業したのが国分寺線
西武国分寺線とは、例の地獄の番犬の名前のハゲタカファンドに「廃止しろ」といわれたような路線ではあっても、西武鉄道のなかで一番古い、1894年に川越鉄道が開業させた由緒ある路線だ。

2013年12月16日月曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】たそがれ時の秩鉄1010編成

タイフォンを鳴らして現れた1010編成

■冬の太陽が姿を隠すころに
山の端に太陽が隠れるにはまだ早い。けれど、冬の低い太陽を雲が隠し始めたころ、荒川橋梁に秩父鉄道1000系電車1010編成が現れた。予期せぬ出会いに、カメラを握る手が汗ばんだ。

2013年12月15日日曜日

【高崎線211系PETIT撮影記事】またもや出会えた211系3000番台髙タカC16編成

特に狙ったわけでもなく再び遭遇!

■またもや211系C16編成を撮った
偶然といえば偶然。でも、自宅からのルートで電車やバスの運転間隔が空いている時間だから、必然でもある。とにかく、このところ高崎線沿線の「ドクトル」に会いに行くたびに、意識しているわけではないのに同じ時間になってしまい、211系3000番台C16編成に出会う。固定運用なのですな。

2013年12月14日土曜日

【秩父鉄道デキ撮影記事】旧型デキ、冬も大活躍中!

最古参のデキ102も活躍

■冬の秩父路が好きだ
何度も書いたことがあるけど、冬の秩父路が好きだ。冬の低い日差しのなかをススキや枯れ葉を背にして走る列車に心惹かれる。

春の桜や菜の花、夏の濃い緑と川遊びをする観光客の楽しそうな表情、秋の紅葉ももちろん魅力的だ。それにおそらく、冬の秩父に惹かれるのは私が少年の頃に歩き回った個人的な記憶を重ねているだけに過ぎないとも思うにもかかわらず。

2013年12月13日金曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】まばゆい冬のオレンジバーミリオン1003編成

パレオの後にオレンジキター!

■SLパレオエクスプレスの前後は要注意
SLパレオエクスプレス5001列車の発車を皆野で見送ったあと、つぎに1000系電車がもしや来るのではないかという根拠のない思いがあった。「根拠がない」とはいえ、これまでの経験上、もはや今年度で引退と決まっている1000系が雁行してくることが多いのはわかっていた。

2013年12月12日木曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと その3

デハ100側の走りをちゃんと撮れた数少ない例

■SLパレオエクスプレス運行開始のころの秩鉄100形電車
度か書いたように、秩鉄100形電車はパレオエクスプレスが走り始めた1988(昭和63)年6月に運用を離脱した。いま、本稿を書くにあたり手元の『鉄道ピクトリアル』誌1998(平成10)年11月号特集を参照してみると、1988(昭和63)年2月20日づけでデハ105、クハ67、クハニ25が廃車になり、3月以降に残っていたのはデハ101、デハ109、デハ110、クハニ22、クハニ24、クハニ29II(いずれも廃車は1988(昭和63)年9月15日)とある。2両編成を2本組み合わせた4両編成が最末期には、羽生・熊谷<デハ+クハニ+デハ+クハニ>三峰口だった記憶があるから、1988(昭和63)年春にはすでに4連を組んで運用していたのは1運用だけだったという記憶とも合致する。

そして、この100形はSLパレオエクスプレスに雁行するかたちで運用に入っていた。いまも1000系電車がしばしば、熊谷をSLパレオエクスプレス5001列車のあとに出て、秩父で追い抜く運用に入ることがある。それを彷彿させる運用だ。そのころからきっと秩父鉄道の運用さんはそれを意図していたはずだ。