2013年12月14日土曜日

【秩父鉄道デキ撮影記事】旧型デキ、冬も大活躍中!

最古参のデキ102も活躍

■冬の秩父路が好きだ
何度も書いたことがあるけど、冬の秩父路が好きだ。冬の低い日差しのなかをススキや枯れ葉を背にして走る列車に心惹かれる。

春の桜や菜の花、夏の濃い緑と川遊びをする観光客の楽しそうな表情、秋の紅葉ももちろん魅力的だ。それにおそらく、冬の秩父に惹かれるのは私が少年の頃に歩き回った個人的な記憶を重ねているだけに過ぎないとも思うにもかかわらず。

2013年12月13日金曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】まばゆい冬のオレンジバーミリオン1003編成

パレオの後にオレンジキター!

■SLパレオエクスプレスの前後は要注意
SLパレオエクスプレス5001列車の発車を皆野で見送ったあと、つぎに1000系電車がもしや来るのではないかという根拠のない思いがあった。「根拠がない」とはいえ、これまでの経験上、もはや今年度で引退と決まっている1000系が雁行してくることが多いのはわかっていた。

2013年12月12日木曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと その3

デハ100側の走りをちゃんと撮れた数少ない例

■SLパレオエクスプレス運行開始のころの秩鉄100形電車
度か書いたように、秩鉄100形電車はパレオエクスプレスが走り始めた1988(昭和63)年6月に運用を離脱した。いま、本稿を書くにあたり手元の『鉄道ピクトリアル』誌1998(平成10)年11月号特集を参照してみると、1988(昭和63)年2月20日づけでデハ105、クハ67、クハニ25が廃車になり、3月以降に残っていたのはデハ101、デハ109、デハ110、クハニ22、クハニ24、クハニ29II(いずれも廃車は1988(昭和63)年9月15日)とある。2両編成を2本組み合わせた4両編成が最末期には、羽生・熊谷<デハ+クハニ+デハ+クハニ>三峰口だった記憶があるから、1988(昭和63)年春にはすでに4連を組んで運用していたのは1運用だけだったという記憶とも合致する。

そして、この100形はSLパレオエクスプレスに雁行するかたちで運用に入っていた。いまも1000系電車がしばしば、熊谷をSLパレオエクスプレス5001列車のあとに出て、秩父で追い抜く運用に入ることがある。それを彷彿させる運用だ。そのころからきっと秩父鉄道の運用さんはそれを意図していたはずだ。

2013年12月11日水曜日

【秩父鉄道C58363撮影記事】C58363、絶好調です!

皆野で出発準備をするC58363
今年の秩父鉄道C58363は絶好調なようだ。私は蒸気機関車のことをよく知らないし、煙をよく見るようなことがないので調子のことはよくわからないでいたけど、先日出会ったC58363は冬期で気温が低いだけではなく、迫力のある煙を出して走っていることに気がついた。実にカッコいい。

そして、昨年の不調と不慮の事故による運休を少しでもリカバリすべく、今年は冬期にも6日間ほど運行するそうだ。やはり、気温が低ければ(運転するほうは大変だろうけど)煙も蒸気もよく見える。おそらくいつもよりも迫力のあるカットが狙えるのではないか。

2013年12月10日火曜日

海へ行った





これではまるで「われ泣きぬれて蟹とたはむる」(石川啄木『一握の砂』 )みたいだ。言っておくけど泣いてなんかいない。もし泣いてもブログになんて書かない。そんな自己顕示のしかたは好きではない。

先日、江ノ電の電車を撮りに数回出かけたというエントリーを書いた。そのときの主目的である茅ヶ崎東海岸での用務の合間の写真だ。湘南とかサザンオールスターズにぜんぜん関心がなくてロマンを感じない人なのに、目の前に穏やかに広がる冬の海を見て、やはり圧倒された。

その広がりや光のまぶしさ、想像もできないほどの昔からあり、私がいなくなっても未来永劫続くのに、そのくせ二度と同じかたちにはならない寄せては消える波。すべてのとほうもなさ。

そんなことを解説するのももどかしい。いかのも後づけの理屈らしくて不自然だ。とにかく本当に言葉を失った。ただ茫然と。

2013年12月9日月曜日

【西武3000系ついで撮影記事】さよなら、西武3000系電車"L-train"3015編成!

こうして見ると西武電車はユニークな顔ばかりかも

■3000系電車L-trainの解体作業が目に入った
電車に乗って移動するのに、いつもならば窓の外の移ろいゆく日差しや流れる雲、色づいた木々のようすを見ながら、合間にカメラのチェックでもして移動中は過ごす。けれど、この日は読みかけの小説の続きが気になりずっと読書を続けていたから、目を上げたときには電車は終点の一つ前の駅にさしかかるところだった。

2013年12月8日日曜日

【江ノ電関連記事】昔のプリントに300形を発見

304編成に乗ったらしい(運転台に「354」とある)
江ノ電記事を書いたときに、そういえば昔撮った写真があるはずと思っていた。本棚を見たら、アルバムにしたものがあった。ネガももちろんあるはずだが、先日とうとうフィルムスキャナが不調になってしまった(虎の子のLS-4000EDなのに)。そこで、プリントからスキャンしたものをお見せする。ゴミ取りができていないことはご容赦願いたい。

2013年12月7日土曜日

【西武国分寺線PETIT撮影記事】日没早すぎっ!





日没が早すぎるよ、いくらなんでも。いや、わかっているなら早く家を出ろってことですよね。

2013年12月6日金曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと その2

クハニ29を正面から(1987年8月)

■リバーサルフィルムのなかでいまも秩鉄100形電車は走り続ける
父鉄道100形電車や急行形の300系電車が気になり始めたころは、私にとってはちょうど一眼レフに交換レンズとリバーサルフィルムを用いて本格的に写真を撮り始めた時期でもある。思えば運がよかったのは、コダクローム64(当時あったフィルムの略号でいうと「KR」)で100形電車を少しだけでも写真に残すことができたこと。

そのおかげで、25年ほどたってもコダクロームのなかで、100形電車は色褪せることなく走り続けているかのようだ。

2013年12月5日木曜日

【1980年代末の秩父鉄道】秩父100形電車のこと


コニカFP・ヘキサノン52ミリ(1985年8月)

■秩父になにかと縁があって秩鉄に惚れた
年時代を振り返ると、いまの自分の「秩父鉄道趣味」をかたちづくった理由のひとつに、なにかと家族を秩父へ遊びに出かけた機会が多かったことがあげられるだろう。自家用車を所有しない家で育ち、それが西武沿線在住であれば、秩父は当時おそらく西武鉄道が旅客誘致に力を入れていた観光地でもあったし、電車一本で行けるわりに変化のある、行きやすい観光地だったからでもあるだろう。

2013年12月4日水曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】秩父夜祭2013宵宮。1000系電車と最後の花火(後編)

電車が留置線で停車したところに花火がぽーん!

■秩父夜祭宵宮の日に1010編成の奥で花火が上がった!
(前回のあらすじ)武甲山の麓の駅に1000系オリジナルカラー1010編成が入庫してきたところに、宵宮の日の「気まぐれ(に私には思えた)花火」が再びぽーんぽーんという感じで打ち上がった。まさか、秩父鉄道の電車のダイヤに合わせて打ち上げているわけではあるまいな。