2014年1月11日土曜日

【西武鉄道1980年代】1986年の新101系と5000系レッドアロー

ヘロヘロの柵と自動車も昭和っぽい

■昭和61年春の西武新101系電車と5000系電車
さて、昨日は1986年春の西武池袋線江古田駅周辺を行き来する101系初期車の様子をご覧に入れた。今日は新101系と5000系レッドアローをお目にかけようと思う。つい最近まで池袋線で見られたのに、いまでは多摩湖線か多摩川線、あるいは譲渡先の私鉄に行かないと新101系が見られないということは、いまでもまだ容易には信じがたい気がする。

中山美穂がまだティーンの顔つきだ

■背景の変化のほうを興味深く見てしまう
最近の姿とことなる部分は連結器の直線的な胴受けやスカートの有無、ローマ字表記のない白い方向幕に見られることはヲタ仲間のみなさんにはおわかりだろう。だが、興味深いのはむしろ周囲や背景の変化ではないか。なにしろ中山美穂がまだティーンエイジャーのアイドルだった頃なのだ。
 
レッドアローはやっぱりこの顔と色がいい

■初代レッドアローも最後の活躍をしていた
いっぽう、初代レッドアロー5000系電車だってもちろん健在だった。50ミリ標準レンズしか持っていなかったころは途中駅を通過するレッドアローをうまく撮れなくて、まともな写真がほとんど残っていない。

■5000系電車もまた「西武湘南型」のひとつのアレンジか
巻末にアップした写真はズームレンズつきの一眼レフを買ってもらってから新宿線で撮ったものだ。デザインも外装も内装も、そのはなやかさに関しては初代レッドアローにはいまのニューレッドアロー10000系はかなわないと思う。

これは時代が変化したから。西武秩父線が開業した1969年(昭和44年)と10000系電車が製造された1993年(平成5年)とでは、「レッドアロー」に求められる役割が変わったからだろう。昭和44年の5000系レッドアローは「はなやかな観光客向けの特急列車」であることが要求された。いっぽう、平成5年の10000系ニューレッドアローは「落ち着きのあるビジネス用途を満たした特急列車」であることを意図したはずだ。

でも、こうしてみるとレッドアローもまた西武湘南顔の亜流なのだといま気がついた次第。湘南型の影響力は西武鉄道にとってはほんとうに強烈だったのだろう。
 
(再掲載)こちらは新宿線のレッドアロー(1989年9月)
 
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【撮影データ】
Konica FP, Nikon F-301/HEXANON 52mm F1.8, SIGMA 75-210mm F3.5-4.5