2024年3月10日日曜日

【秩父鉄道1980年代】SLパレオエクスプレス運転開始のころ


■1988年(昭和63年)4月1日の秩父路
もうすぐ2024年の秩父鉄道SLパレオエクスプレスの運行が始まる。3月8日付け発表の報道資料によると今年は4月13日(土)、14日(日)、20日(土)、21日(日)の4日間はJR東日本ぐんま車両センター所属の旧型客車4両を借用して運行されるそうだ。同リリースにもあるように、SLパレオエクスプレスの運行開始時から1999年までは、旧型客車で運行していた。今回運用する旧型客車のうちの1両スハフ32-2357はそのときにも用いられていた。

私はこのSLパレオエクスプレスの運転開始された1988年春までは、秩父鉄道に夢中で通っていた中学生だった。春の運行開始直後にも数枚だけ旧型客車を牽引するC58363の姿を撮影している。

2024年2月17日土曜日

【秩父鉄道鉱石貨物列車】春はもうすぐそこ。デキ502&503&504


■坂の下の駅は春の日差し
雪が降った数日後に秩父鉄道の武甲山の麓の駅にある構内側線を訪ねた日の続きだ。残雪は美しいが日陰で朝8時半から正午までいると、寒さに飽きてしまった。

2024年2月12日月曜日

【秩父鉄道鉱石貨物列車】「瞳の大きなデキ507おじさん」と「根岸から来たタレ目のおじさんD502」の活躍


■「せり帽を被った大きな瞳の八百屋のおじさん」
むかしから私は秩父鉄道の電気機関車を見るといつも「せり帽を被った八百屋のおじさん」を勝手に連想してしまう。「お兄さん」でも魚屋でもいいけれどさ。せり帽とは、市場で競りに参加するときに被る番号の入ったプレートのある帽子(キャップ)のことだ。なんとなく、紺色の印象がある。秩父鉄道の電気機関車には数字だけのナンバープレートが正面にあるためだろうか。連想してしまう原因は自分ではよくわからない。

2024年2月10日土曜日

【秩父鉄道鉱石貨物列車】残雪の武甲山の麓にて。三輪線を行くデキ102を撮る


■秩父にはまだ雪が残っていた
東京首都圏で2月6日に降った雪は、首都圏での積雪量としては多かったものの、いつものように比較的水分が多かった。だから、筆者の住む埼玉県南部では数センチしか積もらず、翌日昼過ぎには、アスファルトの部分は溶けてしまった。畑などの土のあるところにはしばらく雪が残っていたが。

2024年2月3日土曜日

【上信電鉄2024年1月】冬枯れのなかを走る「桃源堂」ラッピング701編成


■西部劇のような下仁田駅前
下仁田駅すぐ近くには、いまはもうおそらくは使われていないであろう倉庫群がある。かつての貨物輸送に用いられていたものだろう。下仁田はかつては宿場町として栄えた町だ。いまではこんにゃくとネギが名産として知られているが、鉄鉱石や石灰岩を産出する鉱山もあり、上信電鉄はその貨物輸送も行っていた。下仁田駅前にいまでも飲食店がそれなりにあるのは、そのころの名残なのではないかというポストをXでも見たが、それはうなづける。

2024年1月31日水曜日

【上信電鉄2024年1月】突発的西毛路訪問にてデハ251+クハ1301を捕捉す


■上信電鉄デハ251+クハ1301が走っていると聞き
Xのタイムラインを眺めていたら、1月半ばから上信電鉄250形電車デハ251がクハ1301と編成を組んでいることを知った。

そこで、高崎線沿線に用事があった日にカメラを持ってでかけた。用事が終わったあとで、運がよければ上信電鉄沿線に出て撮影もしたいという「あわよくば」撮影作戦というわけだ。小ぶりなPanasonic LUMIX GX7 Mark IIを2台とレンズ3本をカバンに詰めておいた。

2024年1月5日金曜日

【上信電鉄2024年1月】早起きは三文の徳。早朝の250形運用に遭遇す


■高崎駅の改札口でガッツポーズ
元日から2日にかけて高崎駅前のビジネスホテルに投宿して、5時26分発の上信電鉄の始発列車に乗るために5時20分ごろに高崎駅に来た。改札口の向こうに入線してきた列車を見て、私は心のなかでガッツポーズをした。

2024年1月4日木曜日

【上信電鉄訪問記2024年1月】年始は上信電鉄700型第5編成撮影から


■からっ風吹く西毛路訪問
気がついたら2024年を迎えて三が日も終わった。今年の年始は元日から大災害と大事故もあり、新年の祝賀のあいさつもしづらい気持ちもある。それでもこういうときこそ、読者の皆さんと自分自身に、健康と充実した穏やかな暮らしができるようにとお祈りしたい。

2023年12月11日月曜日

【東武野田線PETIT訪問記】『哀愁の町にリバイバルカラー電車が走るのだ』2023初冬編


■東武野田線に乗ったのだ
用務でめずらしく東武野田線沿線にでかけた。TOBU URBAN PARK Lineか。でも、長いから野田線と書くからね。

野田線に乗るのは10年くらいぶりだ。10年ほど前に沿線在住の友人宅を訪ねたときに乗った。それ以前には記事にした8000系8111編成を撮影したとき。そしてどちらのときもたまたま、大宮から七里までしか乗っていない。椎名誠の小説のタイトルのパロディで「哀愁の町」などと書いた(椎名誠の小説の舞台は小岩だが)、沿線のいかにも国道16号線沿いの郊外の町並みは気に入っている。そして大宮は毎月何度か通るので列車の姿は目にしている。