2012年1月24日火曜日

【西武新101系撮影記事】新年初のリバイバルカラー撮影



■271編成をねらう
の下にある駅に停まっている列車は私が立っている場所からでは、走り始めて踏切を越えてこちらに向かってくるまではよくは見えない。だから形式や塗装がわからない。でも私の予想が正しければ、こんどの快速急行はリバイバルカラーの西武新101系電車271編成が先頭に立つはず。まあ、リバイバルカラーではなくても新101系ならあたりだ。

などと考えながら病院裏のカーブで望遠ズームで構えながら狙いをつけていた。列車が駅を出て近づいてくるのが見えて……あたりもあたり、大あたり! 先頭はリバイバルカラーの271編成! よっしゃあ!

2012年1月19日木曜日

【KIEV-6S関連記事&秩父鉄道リハビリ鉄記事】デキ102+108の登場!

デキ102がデキ108を牽引して広瀬川原から出場

■KIEV-6Sを持って秩鉄に来た日の話の続編
1000系電車1003編成「オレンジバーミリオンII」と荒川桜堤の駅で交換する列車が遠くから見えて来たとき、いったいなにがきたのだろうと思い、目を細めた。クリント・イーストウッドが演じるダーティ・ハリーのように。

「さあ、やれよ。楽しませてくれ」"Go ahead, Make my day"というやつだ。

目を細めたのは、近づいてくる列車は水色の車体でヘッドライトがひとつ灯っているからだ。どうみても電気機関車(デキ)にしか見えない。けれど秩父党のみなさんならご存知のように、熊谷~武川には通常は貨物列車が来ないので、デキが走ることは少ないはずだ。SLパレオエクスプレスを広瀬川原からの出入庫時に牽引するデキ201ならば、SLパレオエクスプレス運転時に熊谷~広瀬川原で見られる。けれど、デキ201のヘッドライトは2灯だ。いま見えている車両のヘッドライトは1灯……デキ100形ということか。

2012年1月18日水曜日

【KIEV-6S関連記事&秩父鉄道リハビリ鉄記事】オレンジバーミリオンIIに感激していたら

KIEV-6SとMC ARSAT (VOLNA-3) 2.8/80の基本セット

■秩鉄沿線をKIEV-6Sで撮る
秩父鉄道を訪れたときの話をしよう。あれは、7500系電車7505編成の試運転中のことだった。高崎線沿線にある「ダーチャ」(ロシア語「別荘」。ここでは「バリニッツァ」「ゴシピタリ」「ポリクリニカ」の比喩)の帰りに熊谷まで出てから秩父鉄道に乗り換えて、KIEV-6Sを持って荒川桜堤の駅に降り立った。

KIEV-6Sはブローニーフィルム(120サイズ)のフィルムを使う、6×6フォーマットのペンタコンシックスマウントを持つ一眼レフだ。見かけはもちろん大柄だ。けれど、ペンタックス67やマミヤRZおよびRB67などに比べたら、標準レンズであるMC ARSAT 80mm F2.8やVEGA-12 90mm F2.8だけをつけて持ち歩くには、私にはそう重い感じはしない。けっして軽くはないけれど、中判一眼レフカメラとしてはそう重いわけではない。

2012年1月16日月曜日

【KIEV-6S関連記事】夜のレッドアロー・クラシックをKIEV-6Sで撮る

モノクロームで撮る夜の雰囲気はいいよね

■撮る気まんまんでいると出会えない「レッドアロー・クラシック」
KIEV-6Sにモノクロームフィルムをつめて撮影した話の第二弾には、西武鉄道10000系電車10105編成「レッドアロー・クラシック」を撮影したようすをお届けしよう。 

この列車は私がデジタル一眼レフと望遠ズームレンズという「撮る気まんまん」な装備を提げているときには、どういうわけかなかなか出会えないのに、カメラを持たないときや走行写真を撮りにくい装備や状況のときにはわりとよく遭遇するという「私を泣かせる」電車でもある。

2012年1月15日日曜日

【KIEV-6S関連記事】千代田線北綾瀬支線に乗る

5000系電車のこの顔を久しぶりに見るのもうれしい

■東京地下鉄の「ローカル線」
東京地下鉄(東京メトロ)の列車に乗って「ローカル線の気分」を味わうことはなかなかできない。とはいえ、そんなローカルムードのある路線を強いて挙げれば千代田線の綾瀬~北綾瀬間(通称北綾瀬支線)を挙げることができるだろう。なにしろ、都内では大変珍しくなってしまった電車が3両編成で一駅の間をのんびり往復しているのだから。おまけに、都市型ワンマン運転を行なっている。

2011年12月10日土曜日

【富士急行1980年代】1988年2月、富士急の雪の日。JR中央東線115系山スカ


■115系電車が最後の国鉄近郊型になるか
113系電車の牙城だった房総半島がいまや走るんです209系電車に席巻されたいま、抑速ブレーキがついた113系の勾配路線対応型ともいえる115系電車は東日本では最後まで残る国鉄型車両になりそうな勢いだ。

2011年12月9日金曜日

【富士急行1980年代】1988年2月、富士急の雪の日。元小田急2220形と2300形


■小田急ABFM車天国だった富士急
富士急を訪れた日のこと。もっぱらもの珍しさからカメラを向けたのは元小田急2200形だった編成だ。でもこの日の昼間はほかにも二つの小田急顔が走っていた。元2220形と元2300形だ。よく見ると側面のドア間の窓の数が違い、2200形同様に3つあるものが2220形で、4つあるものが2300形なのだと思う。2400形以前の小田急は小田急時代に見ていないのでうろ覚えかも、すみません。

2011年12月8日木曜日

【富士急1980年代】1988年2月、富士急の雪の日。元小田急2200形


■雪の日に富士急を撮りに出かけた思い出
懐かしい写真をお目にかけたい。1988年(昭和63年)2月に訪れた富士急行の写真だ。

たしか前日夜に雪が降り、雪景色を求めてどこかに鉄道を撮りに行こうと考えて、行ったことのない富士急を目指したのだと記憶する。当時の私は秩父鉄道300系電車が好きだったので、同型車3100形のいる富士急は大変気になる存在だった。そして、3100形事故代替車として登場し、今はトーマスラッピングが施されてしまった5000形も、日本車輛が国鉄近郊型電車のパーツを組み合わせて作り出した地方私鉄ロマンスカーといった趣があって好きだった。

2011年8月31日水曜日

【2011年8月】「ホームライナー鴻巣」3号、485系電車を撮る


■2011年8月、鴻巣にて
あんなに暑かった夏ももう終わろうとしているとはっきり感じさせさせるのは、日没後に外に出たとき。肌をなでる風はすっかり涼しく、あたりでは秋の虫が鳴き始め、オシロイバナの香りがしたから。そんな秋の気配を感じさせる夜道を高崎線鴻巣駅に向かった。というのは、19時半頃にやってくる列車を見たいから。そうして駅に着いて列車を待っているあいだにも、秋の虫たちがさらにコーラスに精を出し始めるのに耳をすます。乗客の表情も、このあいだまで見られた暑さにうんざりした感じのそれではない。心なしか落ち着いているように思える。

虫の声ばかり聞こえる夏の終わりの夕べの駅に懐かしい電車がやって来た。新潟車両センター(新ニイ)所属の485系電車K1編成。国鉄特急色をまとう特急マークも誇らしげな電車だ。列車名は「ホームライナー鴻巣」3号。今日も19時30分の定時に到着した。

2011年5月16日月曜日

【2011年5月流鉄流山線撮影記事】若葉の季節にさようなら。流鉄3000形「若葉」こと最後の元西武101系低運転台編成 その2



■『若葉』午後の部

午前中になん往復か鰭ヶ崎や小金城趾付近で撮っていたけど、集中力も切れ空腹になったので、若葉に「惜別」札が下がったところでひと休みすることにした。考えたら、新松戸まで武蔵野線に乗ってきて目の前の幸谷から歩いたので、まだ流山線の電車に乗っていない。そこでせっかくだからと、鰭ヶ崎から電車で幸谷まで戻ることにした。

2011年5月15日日曜日

【2011年5月流鉄流山線撮影記事】若葉の季節にさようなら。流鉄3000形「若葉」こと最後の元西武101系低運転台編成 その1



■予期されていたようについに3連が運用離脱
流鉄流山線は2009年より西武新101系電車2連を「5000形電車」として導入し、2010年に運用し始めた。TX(首都圏新都市鉄道 つくばエクスプレス)開業による乗客移行にともなう乗降者数の減少により、3両編成では輸送力過剰になったために、すべての列車をワンマン運転で2連化するということが表明されていた。だから、2010年夏の3000形「流星」の引退の時点ですでに「若葉」号編成の引退はわかっていた。