2014年3月12日水曜日

「あの日」のことをふと思い出した

2011年3月11日21時37分、下落合駅にて
2011年3月11日のあの日のことは、東日本の人はいまでも鮮明に覚えているだろう。首都圏の人は被災地のようすが報じられるまでは、電車が動かないけどまいったな、くらいの軽い気持ちで最初はいたと思う。私も、東京駅近くの当日勤めていた会社から歩いて都心部を抜けて、日比谷公園まで歩くにつれその人波の多さに戸惑いつつも、まだそうひどいことになっているとは思わなかった。歩き疲れて途中で休憩した新宿区コズミックセンターで見たテレビニュースで被災地の惨状を知って、初めて不安になった。

2014年3月11日火曜日

【ソビエトカメラチラシの裏記事】Kiev中判カメラを記事にできない理由 その2


初期型のロゴが好き

■寝床でワシも考えた
前回のエントリーでくどくどくどくどと「Kiev中判カメラを記事化できないのは、私は好きすぎるから」「好きな理由は説明できない」「だからなおさら簡単には勧められない」そして、「とはいえ私の好きな道具なので、モノを知らない奴に貶されるのは不愉快だ」「ソ連やロシア文化圏を見下すひとには向かない(*1)」(←言ってないか)と、自己意識肥大すぎる文章をしたためた。

そのあと、一風呂浴びて床に就いてから「お勧めできない最大の理由」を思い出した。文章を書き終わってようやく思い出したところが、いかに私がKiev中判カメラに対して冷静ではないことがご理解いただけると思う。こうなっちゃいけないだろ、やっぱり。

2014年3月10日月曜日

【ソビエトカメラチラシの裏記事】Kiev中判カメラを記事にできない理由

これはうちの近所の飛行機ですよ

■グレートゲームいまだ終わらず
ウクライナの政治情勢がきな臭い。首都キエフではEU加盟を巡り政変まで起きた。

「キエフ」という日本語のこの言い方はおそらくはロシア語や英語のКиев/Kiev(キーイェフ)が由来だ。ウクライナ語ではКиїв/Kyivとつづり、「キーイウ」と発音する。ただし、日本語の慣用例にしたがい本文ではキエフと表記する。なお意味は「キーイの町」。キーイとはこの町を建設したとされる伝説的な人物の氏名。以下の人名や地名も基本的にはウクライナ語ふう発音ではなくロシア語ふう発音から日本語の慣用となった表記をする。

いっぽう、フルシチョフ時代にロシアからウクライナへ割譲されてロシア語を母語とする住民が多いクリミアには、国籍票のない正体不明のロシア軍特殊部隊らしい武装勢力(リトル・グリーンメン/вежливые люди)が侵攻し自治政府やシンフェローポリの空港を制圧したとか。

2014年3月9日日曜日

【西武西武園線PETIT撮影記事】夕方の支線にて

フィルムだとハーフNDフィルターが要るよね
どうも体調が思わしくなく、細かい用事もあるうえに、なんといっても首もまわらないので(比喩ですよ。でもそれはいつもだ!)好天の週末にもかかわらず自宅付近にいる。でも、夕方は散歩に出た。今日は白い新101系ではなく新2000系がうろうろしていたので、「真面目に撮る」のではなく、いろいろ遊んでみた。

2014年3月6日木曜日

【富士急PETIT撮影記事】富士急1200形(元京王5000系)を撮る


■京王5000系電車は好きになれなかった
何度か書いているけど、私は京王線の電車といえば名車5000系よりも6000系が好きな人間だ。京王帝都電鉄(当時)の高速化に果たした役割は大変大きいはずで、登場時には恐らくたいへん斬新だったろう5000系は、私が物心ついたときには「半端に古めかしい電車」に思えたからだ。2000系列の「京王グリーン車」ははっきり「古い電車」だったで興味はあったのに。だから、京王5000系列を写したことがなかった。京王帝都電鉄の高速化と大型化に寄与したエポックメイキングな電車であったことは知識として知っているのに。

2014年3月5日水曜日

【西武2000系初期車撮影記事】多摩湖北線で2000系初期車を撮る

あれ、2413編成!

■ぜんぶ雪のせいだ
あの大雪のおかげで、先月上旬のことが相当大昔のように思えてならない。それほど強烈な印象を与えた積雪だったということなのだろう。今回のエントリーでお見せする写真も先月の上旬に、新101系を見るために多摩湖北線を訪れたときのものなのに。ずいぶん前に写したもののように思えるから不思議だ。

2014年3月4日火曜日

【秩父鉄道5000系撮影記事】シブい5000系、けっこうレアかも


3月末で秩父鉄道1000系1003編成が引退したのちに、従来からの秩父党とシブい電車が好きな私鉄ファン、そして都営地下鉄ファンが注目するであろう電車が5000系だ。いや、1000系の引退いかんに関わらず、好きな人は好きなのだよな。というのも、前回のエントリーは予想以上のView数を得て大変驚いたのだ。とはいえ、チョッパ制御車の元東急車たちのなかで抵抗制御のスキンステンレス車として3編成だけ走るレア感もあり、昭和40年代テイストのデザインである5000系をちゃんと撮ろうというファンには、その活躍ぶりは気になる存在だと思う。

2014年3月3日月曜日

【思い出の西武新101系】新101系と雪の日

2010年2月の雪
■雪の日の写真を探してみたら
回のエントリーで「西武新101系と雪の組み合わせで撮った写真が少ない」と書いて、改めてハードディスクを探してみた。やはり少ない。ここ数年は積雪しても首都圏では翌日には融けてしまうような量だったし、そもそも平日に降ることが多くて沿線にカメラを持って出ることができないことも多かった。

2014年3月2日日曜日

【秩父鉄道6000系撮影記事】走れ急行「秩父路」

急カーブと勾配をそろりそろりと走る
秩父鉄道の三峰口〜影森間の運転も再開され、運休していた急行列車も走り始めているから、元西武新101系電車である6000系も、その俊足ぶりを再び発揮していることだろう。

2014年3月1日土曜日

【秩父鉄道1000系関連記事】1003編成(1003F)オレンジバーミリオン、土日固定運用と引退イベント発表……。


■最後の運用発表される
秩父鉄道1000系の最後の一編成である1003編成オレンジバーミリオン(1003F)の土日固定運用が改めて発表になり、3月21日(金・祝)、22日(土)、23日(日)の3日間は臨時貸切列車として引退イベントが行われるむねが、秩父鉄道より発表された。