2014年3月10日月曜日

【ソビエトカメラチラシの裏記事】Kiev中判カメラを記事にできない理由

これはうちの近所の飛行機ですよ

■グレートゲームいまだ終わらず
ウクライナの政治情勢がきな臭い。首都キエフではEU加盟を巡り政変まで起きた。

「キエフ」という日本語のこの言い方はおそらくはロシア語や英語のКиев/Kiev(キーイェフ)が由来だ。ウクライナ語ではКиїв/Kyivとつづり、「キーイウ」と発音する。ただし、日本語の慣用例にしたがい本文ではキエフと表記する。なお意味は「キーイの町」。キーイとはこの町を建設したとされる伝説的な人物の氏名。以下の人名や地名も基本的にはウクライナ語ふう発音ではなくロシア語ふう発音から日本語の慣用となった表記をする。

いっぽう、フルシチョフ時代にロシアからウクライナへ割譲されてロシア語を母語とする住民が多いクリミアには、国籍票のない正体不明のロシア軍特殊部隊らしい武装勢力(リトル・グリーンメン/вежливые люди)が侵攻し自治政府やシンフェローポリの空港を制圧したとか。

ロシア連邦政府側の強引なやり方は大変残念でならない。ただ、この政情不安はアメリカとロシアのいわば代理紛争だ。グルジア紛争につながったサアカシュヴィリの擁立もウクライナの「オレンジ革命」も、ロシアの勢力縮小を狙ってアメリカ側がさまざまな勢力をあげて画策した結果(*1)起こされたのではないか。

ソ連崩壊以降のエリツィン時代とちがうのは、いまのロシアはこのゲームに対してやられっぱなしのままではなくて、ふたたび武力で対抗するようになったということ。クリミア侵攻に関しては、おそらくロシア側も武力侵攻を行う準備を以前から周到に立てていたのだろう。

もちろん推測でしかないが、保安機関を使って事前に親ロシアの世論形成を行っていたのではないかとも思う。民族自決や少数民族保護を口実に、かつ対象地域の「住民からの依頼」に応えるかたちをとって戦争を始めるのは、むかしからよくある開戦の常套手段だ。そこに正規軍ではなく民間軍事会社や義勇軍を用いるのが「ハイブリッド戦争」というやつなのだろう。

私は国際情勢を論じる専門家ではないのでこれ以上の論評は差し控えるが、グルジアもウクライナも今後ロシア離れをしていっても、今後ともアメリカ&EUとロシアのあいだでうまくバランスをとっていかねばならないことは変わらない。グレート・ゲーム(*2)は冷戦終結後も終わっていないということだ。ため息が出る。

たまにスクエアフォーマットで撮りたくなる

■だってKiev中判カメラが好きだから
さて、もっとスケールの小さいいつもの趣味の「チラシの裏」に話は戻る。以前のこのブログは当初「私の好きなカメラとともに送る趣味生活のあれこれ」を綴っていたのは、昔からのご友人のみなさんにはご存じの通り。そのころのエントリーでもっぱら読んでいただいたのはKiev中判カメラ、つまりペンタコンシックスマウントのKiev-6SおよびKiev-60と、Kiev-88マウントのハッセルブラッド型カメラSaliut-Sに関する使いこなし記事だった。

昨年秋にこのbloggerへ引っ越しを開始したものの、鉄道記事ばかり増えていてKiev中判カメラに関する記事がいっこうに増えていかないのは理由がある。じつをいうと何度も何度も記事を書きかけてはアップを止めていた。それは、どう考えても2014年のいまとなってはこのKiev中判カメラをみなさんにはけっしてお勧めできないから。

そして正直にいえば、他人には勧められないけれど自分にとってはとても愛着のあるこのカメラのことを、悪くいわれるのも嫌だからだ。カメラや写真の初心者の方にはがっかりさせるだけで、ぜったいにお勧めできないカメラだから。

べつの言葉でいえば、私はKiev中判カメラがとても好きで客観性を持てないからだ。そして、よくこのカメラを知らないひとに「ソビエト製だからいいかげん」「おそロシア」などといわれるのも、私はとても不愉快だ。ドイツ製品にたいしては劣等感があるんじゃないのかなあ。自分が好きなものをけなされてうれしいひとはいないだろう。あなたに私の好みを押しつけることはしない。だから放っておいてくれ。ウクライナはロシアじゃねーし。

Kiev-60(Kiev-6Sと共通)の巻き上げレバー固定部分

■蓼食う虫も好きずき=好みは説明できない
そもそも、好き嫌いというものは合理的に説明できるものではないと私は思う。なぜなら、その対象が好き/嫌いな理由はどれも極私的で主観的なものであり、話者にしか意味を持ち得ない。それこそ「嘘つきが嫌い」「暴力を振るうひとが嫌い」「えらそうで抑圧的で強引なひとが嫌い」などという、他人を傷つける人間への嫌悪であれば「社会的コンセンサス」を得ることはできるだろう。だが、カメラなんて所詮はちっぽけな、精神的にはさておき、もし失っても社会的には生きていける趣味の道具だ。

想像してみてほしい。私やあなたの大好きでたまらないカメラがもしいま動かなくなっても、私やあなた以外のひとの前では世界はその装いを変えることない。太陽は明日朝も東から上り、世の中は動きひとは働き恋愛をし子どもは生まれ不幸なひとは病み亡くなっていき、儲けるひとも損失を出すひともいて、西の方角に日が沈んで一日が終わる。以上。

私やあなたの趣味のカメラとまったく関係なく地球は回るのだ。だから、どれだけ他人にその理由を説明したところで、せいぜい印象的なエピソードがあれば笑ってもらえる程度でしかない。などとどれだけ書いてもチラシの裏が真っ黒になるだけで鬱陶しいね、じつに。

■やはりひとには勧めにくい
いま現在、私の手元には稼動できるコンディションのKiev中判カメラは、Kiev-6Sが2台とSaliut-Sが1台ある。いずれも1973から78年に製造された古い個体を中古で手に入れ、調整はいずれもキエフ在住のアルメニア人ディーラーであるARAX FOTOで行ってもらった。知りたいひとはググってくれ。

さらに部品取り用のKiev-6SとKiev-60が1台ずつある。キエフまで送ると円安のいまでは送料も時間もかかるうえ、外観部品の損傷時などの部品交換や自分でできる範囲の調整は自分で行うか、修理できるひとに利用してもらうためだ。私自身は修理はできない。

世界一のカメラ王国である戦後の日本の住民である私たちには想像がなかなかしにくいが、カメラとは古くなると無調整では壊しやすいものだ。このことに大変無頓着なひとは多い。カメラが「壊れる」のではなく、古くなると「壊してしまう」ことがあるということ。

そして、高度経済成長からオイルショックの時代の日本製カメラは経済的に豊かな時代の製品であり、電子部品でなければ調整で動かせるようになるものが多い。でも、これは日本の高度経済成長時代のカメラだけの「常識」だ。私たちはとても恵まれていただけ。

いっぽう、ソビエト製カメラは異なる文化の異なる社会で作られた。耐久消費財の生産にも国家計画に基づいて作られ、国家規格に従い耐久年数が設けられ、調整を行いながら使われることを意図したカメラだ。ソ連国家が存在しているうちは全国各地に設けられた修理サービス網で修理や調整が行われたので問題はそうなかった。

それがソ連崩壊によりメーカーも修理サービス網も崩壊したあとは、調整も修理も行われずに放置された。あちらのひとたちも「ソ連製品はダサくてかっこ悪い」と放置した。ソ連の崩壊とともにサポートがなされないで、カメラのかたちをした「古物(こぶつ)」と化したわけだ。

つまり、修理や調整をしないではカメラとしては使えないものであり、そしてそれにはそれなりの費用がかかるということなのに、ずっと放置された個体しか存在しない。しかも親切な撮影アシスト機能もないので、修理や調整をしてもカメラに相当慣れたユーザーにしか使いこなせないだろう。

長年の使用ですり減ってしまった

■かくいう私のKievも
じつは、所有している2台のKiev-6Sのうちの1台の調子はここ数年来ご機嫌斜めだ。シャッターチャージを兼ねた巻き上げの途中で暴発してしまうことがあり、スローシャッターガバナーに汚れも詰まったのか、1/2、1/4、1/8の動きが怪しい。それでも困らないのは、フィルムで撮る機会がないからであることは悲しいが、「ああ、こいつを使いたい」とたまに発作を起こしては、まてよ、いまポジフィルムはいくらするのだ。いまや現像するにも料金の割引はないぞ。そもそもフラッドベットスキャナもいま自宅にないではないか、と自分を落ち着かせている。ここ数年のあいだにブローニーフィルムで撮影していないのはそういう理由でもある。

巻き上げ時の暴発は、巻き上げレバー内のパーツやミラーを固定するヒンジの摩耗と、シャッター幕の調整とテンションに合わせた各部の調整が必要だ。かのカラシニコフ自動小銃ではないけれど、動作部分の公差が大きいのがソ連製カメラの特徴。それなのにじつに華奢な部品が削れているのが見える。むかしであれば部品交換をすればいいという理由で見過ごされてきたのだろう。ソ連国家規格(GOST)の何年ごろのものだったか忘れたが、カメラの説明書に「耐用年数10年」と書いてあったのを覚えている。私のKiev中判カメラは製造から35年も経つのだ。そりゃあもう耐用年数は切れているだろう。

残念ながらいまはキエフに送っていじってもらう余裕もないので、巻き上げレバー内のパーツだけは部品取り用Kiev-60から交換してみたけど、撮影に持ち出すとどうなることやら。こういうネガティヴなことを書いて「ほれみたことか」「おそロシア」などと思われるのも嫌だ。

とはいえ、いまKiev中判カメラをさわっていろいろ考えるのは楽しいので、気が向いたら旧ブログからKiev関連記事をこちらに転記していこうと思う。しつこい注意書き入りでね。私ことKiev中判カメラヲタがこいつを勧めない理由(*3)はたくさんあるから覚悟してくれよな! と。

こういうところが華奢なのは不思議な気がする

*1「グルジア紛争につながったサアカシュヴィリの擁立もウクライナの『オレンジ革命』も、そもそもがロシアの勢力縮小を狙ってアメリカ側がさまざまな勢力をあげて画策した結果」:ソ連時代からの旧共産系勢力を追い落とすために、在野の勢力を資金援助して活動させるようにアメリカ大使館が根回ししておき、マスメディアにもシンパを作っておく。わかりやすいシンボルネームを冠した野党組織を立ち上げさせる。そうして選挙に持ち込み、もし選挙で負けそうであったら政府側が不正を行ったとアメリカやEUの選挙監視団に発表させて、一般市民を動員してデモ行進をさせる。その結果、混乱を避けるために政府が退陣して「民主的な親米・親EU新政府」ができる。それをアメリカとEUが承認する。

たとえば、ジョージ・ソロスのOpen Society Instituteによる資金援助がグルジアやウクライナで行われていたといわれているが、いずれも革命を装った政権転覆だとロシア側は捉えているんだよね。

もっとも、倒された旧政権側も腐敗やまず権力者は汚職と不正蓄財に余念がなく、国民が不公平感をつのらせていて、倒されてもしかたがない理由はあった。民主主義は世界的に普遍的とされるものではあっても、それを理由にあんなことやこんなことを……コワイですねオソロシイですね、お米の国って(以下自粛)。おっと、こんなことをGoogleで書いている私も私だ。もし私の身になにかあったら察してくださいまし。おや、だれかきたぞ。おいやめろなにをすrふじこふじこ

*2「グレート・ゲーム」:そもそもは19世紀末のイギリスとロシアの中央アジアでの覇権争いをチェスのゲームに例えたもの。第二次大戦後はイギリスの覇権はアメリカが引き継ぎ、ロシア帝国はソビエトという「ロシア帝国ver2.0」になった。冷戦時代はある両者は程度の均衡関係にあった。それがソ連崩壊によりアメリカ単独覇権になったかに思われたものの、ロシアはそこに力でふたたび対抗し始めたがプーチン時代の「ロシア帝国ver3.0」のいまのありさまだ。住民の意思に関係のない資源を巡る争いにいつまで翻弄されなければならないのか、と思うと泣けてくる。

*3「Kiev中判カメラヲタがこいつを勧めない理由」:国産中判カメラや外国製高級中判カメラと同等に修理調整費用をかけても使いたいと思い、かつ気が長いひとならばいいんじゃないですか。ペンタコンシックスとカール・ツァイス・イエナレンズでも状況は同じ。老朽化したKiev中判カメラでも起き、ペンタコンシックスではとくに有名なコマダブり(巻き上げ不良)は、カメラ内部にある巻き上げ量を規定するパーツが劣化して起こすらしいので、Web上でよく見かけるような「巻き上げ方を工夫すればなんとかなる」などというものではない。なるわけないだろ。部品交換と調整しかないんだ。気合と根性じゃなんともならないのよ。そういう伝聞ばかりが流布するからうんざりするんだよね。もし私の部下がこう書こうとしたら「記事にするなら裏を取れ」と叱るよ。

ただし、その修理代金は安いわけではない。安く買ったから安く修理できないかなあという方にはぜったいにおすすめできない。くりかえすけれど、購入費用よりも修理費用がかかるのがいやならば、中古カメラなんか買ってはいけない。しかもカール・ツァイス・イエナレンズも二ェージン・プログレス工場製のKiev用レンズも自動絞りが華奢でここから壊れやすい。素人修理をするとなおひどく破壊しかねないので、ほんとうにやめてほしい。あなたの手にしているそのレンズは20世紀の文化財なのですよ。