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2024年8月21日水曜日

【撮影術】デジタルカメラで「コダクローム64」の雰囲気を再現するためにあれこれ考える日々

Silkypix(写真はLUMIX用の同SE 8)にある「フィルム調K」

■「コダクローム64」を見ながら考えた
昭和から平成初期にかけて、中高生から大学生のころにコダクローム64(およびコダクローム64プロフェッショナル)を使って撮った列車の写真をこのところ見ていた。乳剤が非常に濃くて、いまのフィルムスキャナーのドライバーソフトではうまくポジ原板を肉眼で見る雰囲気にしづらい。そこで、ニコン「スライドコピーアダプターES-1」で複写していた。

2021年2月10日水曜日

【京王競馬場線撮影記事】10年ぶりの府中競馬正門前駅にて


■京王競馬場線に10年ぶりに行った
近ごろは西武多摩湖線、西武園線、狭山線という村山貯水池(多摩湖)と山口貯水池(狭山湖)周辺に敷かれている支線にばかり通っている。本線では走らなくなった車両が運用入りしていること、そうした少し古めの車両が単線を往復して走る姿が好ましく思えるからだ。もちろん、自宅から近い好ましいところだからという理由もある。

根本的に、列車が都市部を長編成で疾走する姿よりも、都市周辺部をのんびり走る列車の姿のほうが私は好きだ。秩父鉄道、上信電鉄、上毛電気鉄道、あるいはJR桜井線(万葉まほろば線)と和歌山線、奈良線のような。そういう列車の写真ばかり私は写しているものね。そこで、あらためて好きな鉄道風景について客観的に考えたいと思い、「短編成の列車が走る都市郊外の支線」とカテゴライズしてみようと考えた。記憶と知識の棚卸しをして「未訪問のところやずっと行っていないところ」を思い出そうとしたわけだ。自分の写真を振り返りながら、いままで撮っていないような写真をどうすれば撮れるだろうかと考えた。

2021年1月7日木曜日

【ごあいさつ】本年もよろしくおつきあいくださいませ

新年にも209系3100番代ハエ72(カワ72)編成を見た

■遅まきながら……あけましておめでとうございます!
読者のみなさん、あけましておめでとうございます。本年もみなさんに楽しくご愛読いただけますようにつとめます。どうぞよろしくおつきあいくださいませ。

それにしてもあれがますますああじゃないですか。昨年の年末年始はのんきに取材に関西に行ったものですが、今年も奈良線の103系電車や南海6000系電車、阪堺電気軌道のレトロ電車を見に行きたかったなあ。そういえば南海と阪堺は記事にしてないですが……。ええまあ、というわけで、あれがああなのを鑑みて今年はあいかわらず自宅周辺10キロ圏内をうろつくことにしまして。元日をふくめて年始にはJR八高線・川越線の入間川橋梁に通いました。

2020年10月29日木曜日

【JR武蔵野線撮影記事】さよなら武蔵野線用205系電車


■JR武蔵野線から205系電車が引退
さきごろ、JR武蔵野線から205系電車がすべて退役したという。私は205系電車は好きな電車であっても、武蔵野線を走る姿を真剣に追いかけたことがほとんどない。それでも『むさしの』号で大宮から乗ることは楽しんでいた。1985年に山手線に先行試作車が登場したときにはわざわざ乗りに出かけている。

あのころの雰囲気はいまでは想像しがたいかもしれない。たとえば、比較的最近の例でいえば、E231系電車がつぎつぎと各路線を走り始めたころのようすに近いかも。あれは規模も大きくて誰の目にもわかるようなはっきりとした世代交代だった。103系電車から205系電車に置き換わったのも同様だ。だから、E217系電車やE231系電車、E233系電車がE235系電車に置き換わるよりもずっとインパクトがあったように同時代の子どもの私には思えた。

2020年8月1日土曜日

【JR八高線・川越線撮影記事】209系電車3100番代ハエ71および72編成の復帰と「川越線開業80周年記念」ヘッドマークつきE231系電車3000番台ハエ45編成のこと


この1本前の上り列車はハエ71編成だったのでびっくり

■209系3100番代車は2編成ともに運用復帰
ここ最近の川越線と八高線(電化区間)は車両の入れ替え時期にあたっているためか、車両の動きに変化が見受けられて興味深い。趣味的な……あえて正直にいえば「ヲタ的」な視点に立ってみると、なにかとおもしろく感じられるいうことだ。もちろん、もともとそれなりに私が好きな路線だからというのはもちろんだ。もっとも、いかにも地味な路線らしく、車両の動きもじつに地味だけどさ。

そういえば春に非電化区間の一部である寄居と高崎のあいだをSL列車が走る予定があったのが、あれのために中止になったというのは残念だ。もっとも、あれがなくても八高線をSL列車が走るなんて考えると、うれしいけれど人出がおそろ……(以下略)。ため息。

2020年7月20日月曜日

【秩父鉄道1000系電車撮影記事】秩父鉄道1000系1009編成「国電リバイバルカラーうぐいす色・関西本線タイプ」を思い出しながら

こうやって撮ると旧型国電みたい。大船工場の入換動車にも似てる

■関西本線といえば……秩父にもかつていた
関西本線(大和路線)の201系電車の写真を見て「亀の瀬あたりで201系を撮ってみたい。さらにいえば、数年前まで奈良の103系電車が大阪環状線に乗り入れていたのだから、そのころに見てみたかった」などと考えていて、さらに関西本線を走っていた101系電車はうぐいす色で正面は山吹色の警戒色が入れられていたということまで書いておいて、数日経ってからようやく思い出したことがある。

2020年7月17日金曜日

【JR関西本線201系電車2019年7月】柏原駅の雨の夜


■ちょうど一年前の話
2019年7月中旬のある夜、JR関西本線(大和路線)のJR難波行き各駅停車に王寺で乗ろうとしたら、強い雨が降っていた。梅雨から夏にかけてこの区間に乗ったことしかないためか、高い頻度で強い降雨にあうことが私は多い。そのせいか、乗っているといつも雨のことを考えてしまう。

2020年7月13日月曜日

【南海高野線2019年】なかなかシブい6300系電車

6300もけっこういけてるんちゃう。しゅっとしとる

■南海6300系電車はまだまだ元気
ちょうど1年ほど前に筆者は大阪・松原市の阪南中央病院というところで2ヶ月ほど過ごしていたと何度か書いている。そのあいだにしばしば出かけていたのはJR桜井線(万葉まほろば線)畝傍や阪堺電気軌道上町線の帝塚山四丁目だ。

このうち帝塚山四丁目電停は南海高野線(以下、高野線と略)の線路のすぐそばにある。帝塚山四丁目から阪堺電車の線路は大きくカーブしながら築堤に登って南海高野線を越えて神ノ木電停にたどりつく。神ノ木電停からはすぐ下を走る高野線の線路が見え、近くにある高野線住吉東駅も見渡すことができる。

2020年6月30日火曜日

【JR桜井線2019年夏】桜井線と藤原宮跡の話


■夏が来れば思い出す
暗い梅雨空ばかり見ているのは飽きる。梅雨が来ないのは農産物や上水道の供給のためにはこまるけれど、めりはりのなさにいやになる。夏の青い空を恋しく思いながら昨年の夏に撮っていたJR桜井線(万葉まほろば線)の写真を見ていて、記事化するのに悩んだ写真を見つけた。

2020年6月14日日曜日

【関西リハビリ鉄2019】畝傍の「駅ナカ」ザクロの木


■畝傍駅の建て替え計画
2020年6月14日(日曜日)づけの朝日新聞デジタルによれば、奈良県橿原市にあるJR桜井線(万葉まほろば線)畝傍駅の建て替え計画があり、JR西日本が橿原市に畝傍駅の現駅舎をゆずることを提案したという。同記事なかほどにはこうある。以下、引用する。

2020年5月19日火曜日

【2018年8月】阪堺電気軌道御陵前から浜寺駅前のこと



■何度もいうけれど……阪堺電車が好きだ
年と一昨年の夏は事情があってそれぞれ2ヶ月ほど大阪・松原市と堺市の境界あたりに長期滞在していて、そのあいまにJR桜井線(万葉まほろば線)と和歌山線JR奈良線、そして阪堺電気軌道(以下、阪堺電車と記す)を撮りに出かけていたとは何度か書いた。桜井線と和歌山線はそのころ置き換え間近の105系電車を見たくて出かけていた。

いっぽう、阪堺電車のほうは滞在先からだと、すぐ目のまえにある大阪府道・奈良県道12号堺大和高田線を5キロほど歩けば花田口停留所がある。すぐ近くを走っていて通いやすく、沿線風景の変化が大きいところが好ましく思えた。もともと、私は路面電車のある町が好きだ。東京都交通局荒川線を幼少のころに見ていたからか。大学生のときに見たモスクワ市電を思い出させるからか。おそらく理由はそのぜんぶ。

2020年1月29日水曜日

【カメラ機材チラシの裏】いつまでたってもNikon F2みたいな古いカメラばかり好きでいたら令和になってからNikon Dfを「生やした」話


■私一眼レフ世代だから
はたまたまニコンの一眼レフを使い続けている。こう書くと積極性がないようでよろしくないな。F-301を買ってもらって以来、揃えてきたレンズをいまでも使うことができるため、操作に慣れているから、カメラの作りや明快な描写が好きだから、壊しにくいから、などという理由でおもに使うカメラをずっとニコンにしてきた。筆者が一眼レフを使い始めたのは、ちょうど「ミノルタαショック」のころ。位相差AFを備えた本格的なシステム一眼レフが登場した時期だった。もっとも、筆者自身がAF一眼レフを使い始めるのはずっと遅い。

ともかく、いまや時代の主流は「レンズ交換式ノンレフレックスカメラ」(いわゆる、ミラーレスカメラ)になるという時代にあり、ミラーレスカメラの便利さを享受していても、「好きなカメラ」を問われたら、光学ファインダーを備えた一眼レフだ。

2020年1月6日月曜日

【JR奈良線103系撮影記事】JR奈良線103系で撮り納め その2 国鉄型ヲタの2019年はこうして暮れた


■103系電車に乗ってとあるイタリアンレストラン「S」に行く
JR奈良線103系電車をわざわざ大晦日に追いかけた話の続きだ。午前中に宇治と棚倉で曇られた。きちんと撮ってはもちろんいる。そのあと、寒さに嫌になって京都行き列車に充当された103系NS409編成に乗った。昭和の国電はじつにいい音を立てて走る。もっとも、JR奈良線を走る列車は205系も221系も、界磁添加励磁制御でようは抵抗制御の改良版だから、インバータ制御のいまの電車よりもずっと重々しい「国電らしい走行音」がして、どれもいい感じだけどね。

ところが、温かい電車に乗ったから京都まで行ってみようかな……と思っているうちに、今度は空はみるみるうちに晴れてきた。晴れたんだよ、ほんと!

【JR奈良線103系撮影記事】JR奈良線103系で撮り納め:本年もどうぞよろしくおつきあいくださいませ


■あけましておめでとうございます!
者のみなさん、いつもご愛読いただきまことにありがとうございます。遅くなってしまいましたが、あらためてあけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくおつきあいくださいますと幸いです。みなさんにとって、そしてもちろん私にも、より実り多き一年になりますように心よりお祈りいたします。

さて、新年第一回の記事執筆が遅くなったのは、大晦日から三が日まで関西に撮影に出ていたから。使わせてもらっている機材を持って「大阪のひつこいカメラのおっちゃん」をしに行ったのだ。しばらくはその成果をお見せできればと思う。

2019年12月4日水曜日

【国鉄103系】ATC対応車のことを思い出す日々

1987年2月、高田馬場

■103系電車が山手線や埼京線を走っていたなんて知らないだろ
る10月で川越線・八高線から209系電車3100番代車が運用離脱したのだそうだ(2020年1月追記:また運用が復活した説もあり。ただし筆者自身は裏とりできていません。ご注意ください→2020年7月追記:先日からハエ71編成が運用入りしているのを複数回目撃しています→2022年11月追記:2021年末まで代走として走り続け、撮影会を2022年1月に行ったのち、廃車されました)。

これで、川越線・八高線は209系3500番代車とE231系3000番代車への置き換えが完了し、幅広車体の電車にすべて置き換わったことになる。川越線でも埼京線と直通運転を行う大宮〜川越はすでにE233系7000番代車の独壇場といえるので、東京臨海高速鉄道70-000形電車をのぞいては幅広車体の電車ばかりだ。あれほど「走ルンです」などと馬鹿にしていた209系電車も、いま考えてみるとデザインはまだ国鉄型の名残ともいえる電車だ。あれで、外板がぼこぼこではなかったらなあ。

そんなことを考えていて思い出した。そういえば……埼京線・川越線はながらく205系電車が走っていた路線だったけれど、1985年9月に開業してから1990年11月までは、103系電車が走っている路線だった。山手貨物線を103系が唸り声をあげて走るようすを見て「103系電車ってなんかすげえ」と感心させられたものだ。というのは、103系電車というと山手線内でとろとろ走っている印象が強かったから。

2019年11月16日土曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】令和を走る昭和の国電! JR奈良線103系撮影記事 その5 「宇治川べりでの出会い」


■またもや宇治川べりにやってきた
JR奈良線に残されたうぐいす色の103系電車を昨年もこの夏も何度か撮りに行ったことは、すでになんども記事にしている。すっかり秋の終わりになって、平等院鳳凰堂でライトアップが行われているなどという記事を見ながら、いまこうして首都圏の自宅で夏の日々を思い返している。すると、いやだったあの蒸し暑ささえもなつかしく思えるような気がするから、時間とか記憶というのはとてもいいかげんなものなのだと思う。

もっとも、なにかに夢中になりすぎたとか、あるいは精神的なショックを受けたときでも、いちばん冷静にさせてくれるのもまた時間の流れでもある。

2019年11月6日水曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】令和を走る昭和の国電! JR奈良線103系撮影記事 その4 「椿井大塚山古墳にてアイン・ツヴァイ・ドライ!」


■椿井大塚山古墳に行った
筆者が夏に滞在していた大阪・松原市の近隣の堺市、あるいは羽曳野市と藤井寺市はいまや百舌鳥・古市古墳群を観光資源として活用しようとしているようだ。太古の昔の有力者が埋葬されていた跡と思えば、たしかにちょっとしたロマンもある。

とはいえ、古墳の近くに住んでいるみなさんにとっては、日常生活のなかでは古墳というのは「近所の森」「うらの丘」くらいのものだろうと思う。とくに、大昔からの伝承が失われたようなところなどは、なおさらそんな存在だろうか。もっとも、埋葬された本人にとっては本意ではないかもしれないけれど、そうやって登ってお弁当を食べることができるような存在のほうが、近隣住民のみなさんにとっては楽しそうだ。天皇陵として宮内庁が管理しているような古墳だと、堀の内側に入ることもできないし。もしかしたら古墳がどういう取り扱いになるかどうかは、埋葬者の地位だけによるのではなく、古墳や文化財保護に強い関心が持たれている時期に発見されたのかどうか、によるのかもしれない。

さて、8月上旬のある日、筆者は京都府木津川市にある椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳を訪ねた。これまた、古文の授業で習う「詠嘆の系助詞:ぞ、なむ、や、か、こそ」の説明文のように、じつに蒸し暑い日であったことだなあ、あったことよ、という一日だった。

2019年9月30日月曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】JR和歌山線・桜井線105系撮影記 畝傍にて、さよなら105系

橿原・今井町の蘇武橋より

■大和八木のミスドに逃げた
條市上野(こうづけ)のひまわり園と玉手(たまで)駅付近で和歌山線の105系をねらった日の続きだ。17時近くなってだいぶ日が傾いてきていたとはいえ、8月上旬では暑さはまだ弱まらない。そこで、近鉄吉野線と近鉄橿原線を乗り継いで大和八木で降りて、冷房が効いているにちがいないミスタードーナツ(以下、ミスド)に逃げることにした。そのころ、どういうわけかミスドによく通っていたのだ。

今日の私の電車運はものすごく強いなあと思わされたのは、そうして大和八木のミスドに向かう途中でのできごとによる。というのも、近鉄橿原線車内から八木西口の手前の桜井線(万葉まほろば線)の立体交差で、近鉄の上を走る桜井線の105系電車を目にしたから。昨年夏も今年もかなりの回数をここを通過しているのに、近鉄の列車から桜井線を目にしたことがなかった。桜井線の列車からも近鉄の列車を見たことはない気がするなあ。

2019年9月29日日曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】JR和歌山線・桜井線105系撮影記 玉手にて

五条で長時間停車

空が青くなってきた

■こんなの暑すぎるで
五條市上野(こうづけ)のひまわり園で上下の列車を撮ったあと、大和二見まで戻った。言いたくないけれど、じつに暑くて行きに寄ったセブンイレブンでガリガリ君を買った。そのままイートインで食べようかと思って時刻表を見ると、高田・王寺・奈良方面行きの列車に急げば間に合いそうだ。そこで、大和二見まであわてて早足で行く。駅には地元の方とおぼしきシニアの方がいた。いわく、大台ケ原でも37℃あるんやて。今日の奈良は暑すぎや……。

2019年9月28日土曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】JR和歌山線・桜井線105系撮影記 五條のひまわり

昭和43年製造、昭和59年改造かあ

吉野口から和歌山線についICOCAで乗っちゃった

■和歌山の105系電車の運行もあと数日か
JR和歌山線・桜井線(万葉まほろば線)を走る吹田総合車両所日根野支所新在家派出所(近ヒネ)所属の105系電車の運行もこの週末が最後(30日月曜日が最終日)と報じられている。あれだけ走っていた105系電車がいよいよ姿を消すというのは、にわかには信じがたいところもある。残り数日間の安全運行を願いたい。

さて、「姿を消すとは信じがたいところもあるけれど、後継の新車が走り始めたところを見ると、引退するのは本当らしい」と思って大和地方に足繁く通っていた8月上旬のある日、青い105系電車がひまわり畑のそばを走る写真を目にした。桜井線と和歌山線の王寺口ばかりに通っていた私には、ひまわり畑が線路沿いにあるということはまったく思い至らなかった。

もうググりましたよ、必死こいて。そうして、大和二見と隅田(すだ)のあいだ、五條市上野運動公園前にひまわり園があり、和歌山線の線路がそのすぐそばを走っていることを知った。そうして、畝傍ばかりに行くのに飽きて三輪と天理に行ったのに、あまりうまく撮れなくて自分に腕のなさに落ち込んだ翌週末に行ってみることにした。同じ絵柄ばかり撮る自分に飽きたのさ。